ママの罪悪感 飲み会編
ママは例え仕事関係の行事でも、子どもが寝るまでの時間、家にいないことに多少の罪悪感がある。
その真逆の実は夜に家族と離れて外出できるという自由な気持ちに密かな嬉しさと喜びもある。
一方男性はどうだろうか?
少なくとも私の夫は、夜に飲み会に行くことに罪悪感を感じているようにはみせてない。
当日に誘われたから行ってくることも度々ある。
そんな時はいつも、「いいな~」 と思ってしまう。
今日は、新人歓迎会の日だった。夫が出張で調整がつかず、かわいい後輩の歓迎会に出席できなかった(悲)
子どもがいて、夜に家をあけるのは難しい。参加するには
夜に用事や行事は自分のスケジュールだけではなく、まずは夫と調整で決めていく。
子どもがいるので仕方がないと諦めているけど、30代の大人が自分の意思だけで予定を立てることができない
違和感を子どもが生まれた当時は覚えた。
夫も独身の時よりは、多少は気を使っているが夜、家を開けることにチクリと胸が痛むことはないだろう。
女性のこうあるべき、子どもがいる女性は家に夜はいるべきという、無意識の前提もある。
育休明けは職場で飲み会に誘われることは少なくなった。
もちろん、当日誘われることも、ない。
実際、誘われても困る時のほうがほとんどだけど、やっぱり誘ってほしい。自分を仲間だと思ってほしいなと思ってしまう。
ママになっても昔と同じように夜に、お酒飲んでバカ話しや、普段一緒に働いている同僚の仕事以外の一面もみたい。
不満があるわけではないんです、ただ不安はあります
2人の子どもがいても、復職できる
仕事もあって
毎月のお給料もあり
好きな街でも暮らしている
それなりの責任ある仕事も任せてもらえた
不満があるわけではなんいです
ただ、このまま、終わりたくない
もっとできることがるのでは?と思ってしまうのです
できない自分と、このままではいれないと感じて、先の見えない未来を不安に思っているんです
でも、心の中で満足していない自分がいる。もっと、もっと、とよくばっている。
何をよくばっているかはわからないけど、
こんな風におもう瞬間は、余裕がある証拠ではないか?
人生はあっという間とよくいうけど、何かを達成したいと思える目標をまだ探していることに焦りを感じずにはいられない
夏休みが終わる日に思うこと
今年の夏は9連休だった。
この夏休みにしたかったことは3つあった。
もう一度、金系、ファイナンスの勉強を復習する。
インタビュー記事のブログを書く
外国人向けのシッターサービスの企画書を書く
どれも、手につかず、9連休が終わりいつもの生活が待っている。
でも、いいこともちゃんとあった。
小一の娘と夏休みを一緒に実家で過ごせた。
山奥の実家で、毎日畑で取れた野菜を食べ、庭でBBQもした。
家族で過ごす時間が増えた。
時間がなかったのではない、私がやりたいと思っていことは本当はやりたくなかったのかもしれない。
営業コンサルタント1
営業コンサルタント
今日のクライアントさんは保育関係の営業の職の方。
新規事業の保育事業の営業方法をどのようにしたらいいか?
自分の営業方法が時代の流れに合っているかを不安になっていたので、コンサルタントを受けにきてくれた。
物腰が穏やかで、優しい話し方の彼女は教育関係の営業に適材だと感じた。
彼女が望む結果=目標を具体的にして、どのようにアプローチしていったらいいかをヒアリングしていく。
よくよく、ヒアリングしたら飛び込み、もしくは訪問形営業のみで契約もまだできていない状況。
そこで、今日は
・3ヶ月後のゴール設定 目標金額と何軒の訪問
・訪問先のマーケティング むやみに訪問ではなくニーズのありそうな業界、業種を調べる
・2:8の法則があるように、早く優良顧客をみつけ、8割の見込み客への定期的なアプローチをメール、SNSで実施していく
・利用例を具体的に連想させる、イベントのパンフ作成する
・信用から信頼を積み重ねるために、他社比較のメリットをより詳細に伝える
1時間の話でしたが、課題がクリアになってよかったといってくれた。やりがいも、自分にもあった。
人に話すことで自分の課題がクリアになる。言語化することで課題の本質がわかり、解決策がでやすくなることがある。そんなきっかけになったなら嬉しい。
思わぬかたちで
会社を創りたいと思っていた。
そして、まわりには仲間がいてほしいと思った。
ありたい姿は明確になった。
でも、何でビジネスをはじめたらいいかわからず苦しかった。
だけど、思い描いていた形はではないけど、会社を創ることになった。
事業継承で夫の兄弟たちと一緒に設立することになった。
カフェであっさりと決まった。
なんだ、簡単なんだ
何事も
次は、私が会社を創るぞ!!
自由とは
一つの会社や、仕事に縛られない。もっと自由に生きようと、育休中に決意した。
それは、会社員では自分の人生のコントロールができないからだ。
もちろん、会社員でもやりがいのある仕事、やりたい仕事をできるように自ら動き創っていくこともできるだろう。MBAで学び始めて組織でもコントロールができるようにする方法があるのは理解できた。
だけど、私はもう会社を辞めることを決めた。
自分の人生を会社に背負わすのではなく自分で創っていきたい!と心底おもったのだ。
産休は入る1週間前に転勤が決まって、泣きながら引越の準備をした。
何度もこんなはずではなかった、こんなはずではなかった。
妊娠さえしなければ、会社はそのまま転勤ももさせず希望部署に異動させたのか?
そんなのはわからない。でも、人生においてどこかに所属していたら自分でコントロールできない。帰属意識は必要かもしれない。
でも、私は自分で生きていく。
自分の居場所をつくると決めた。
安定の中の不安定よりも
自分で決めれる
不安定の中での安定を選ぶ
1年前のことを思い出した
産休の1週間前に転勤が決まってから、多くのものを失ったと心が張り裂けそうだった。
成果をだすために、心血注ぎ、子どもに申し訳ない気持を隠しながら、仕事をしてきた。仕事は裏切らないとはいうが、会社組織は別物だった。子どもを生む直前だろうが、実績があっても、これから出産する人の気持なんて考えずに、荷物をいどうするように人を動かす。
その人が今どんな状況かなんて、考えることはない。
大きなお腹を抱えて、希望していた部署へも妊娠により異動できずず、産休に入る前に日本列島の端のエリアに移動させられた。
大きなお腹を抱えて、泣きながら、引越の準備をした。思い出がたくさん、断捨離されるものとしてでてきた。惨めな気持と、不安で仕方なかった。先が真っ暗だった。
人生における最も喜ばしいイベントの出産が私には感じることができなかった。
ぶつけどころのない怒りがあり、どうしてこんなことになったのかわからなかった。
仕事も、家も、環境も、友達も、築きあげてきたものが、すべてなくなったと思えた。
私にとっては究極の断捨離である。
事実、引越し先の住居は、持ち家のマンションの半分の広さ。
必要なもの以外はすべて断捨離した。TVも。
ちょうど1年くらい前の出来事である。
思い出すと心が痛む。
だけど、手放したら、自分の生き方を変えれた。
会社にしがみつく必要はない。私は自由だ。すべて自分の意志で決められる。
これからはそれができる。